「もう辞めます!」その一言、撤回できる?口頭での退職が“戻れない川”になる瞬間とは【A病院事件判例解説】
「もう、こんな会社辞めてやる!」
感情の高ぶりや、上司との衝突の末に、思わず口にしてしまった退職の言葉。しかし、冷静になった後で「しまった、言い過ぎた…。生活もあるし、できれば撤回したい」と後悔した経験はありませんか?
この「退職 口頭 撤回」を巡る問題は、多くの働く人にとって他人事ではありません。実は、口頭での退職の申し出であっても、一度渡ると二度と戻れない“ルビコン川”のように、法的に撤回が不可能になるケースが存在するのです。
この記事では、2022年に判決が下された「A病院事件(札幌高判令4・3・8)」という実際の事例を「一度渡ると戻れない、言葉のルビコン川」という物語のメタファーを通じて、どこよりも分かりやすく解説します。
この記事を最後まで読めば、あなたは以下のことを深く理解できるでしょう。
- 口頭での退職が「確定」と見なされる、運命の分岐点
- 「退職願を書いていないから大丈夫」という考えの落とし穴
- 労働者と会社、双方が後悔しないために知っておくべきこと
あなたのキャリアを守るための重要な知識です。さあ、一緒に物語の舞台へ進みましょう。
この記事の目次
事件の概要:なぜ一審と二審で判断が180度変わったのか?
物語の主人公は、A病院に勤務する臨床検査技師の甲さん。彼は、病院側から複数の非違行為(ルール違反)を指摘されていました。
病院の事務部長Aは、甲さんに対し「自主的に退職するなら、懲戒処分はしない」という選択肢を提示します。そして面談の日、甲さんは「退職させていただきます」と口頭で伝えました。
ここから事態は大きく動きます。
- 退職日の決定: 甲さんと病院側は、具体的な退職日を「令和2年1月20日」と決定。
- 事務手続きの確認: 退職後の健康保険の任意継続についても話し合いが行われた。
- 退職願の扱い: 甲さんは印鑑を持っていなかったため、退職願の用紙を持ち帰り、後日郵送することになった。
しかし、甲さんはその後、退職願を提出する代わりに弁護士に相談し、「退職の申し込みを撤回します」という書面を病院に送付したのです。
【争点】
甲さんの主張:「退職願を出していないし、口頭での発言は確定的な意思表示ではない。だから撤回できるはずだ」
病院の主張:「退職日も決め、具体的な話し合いもした。双方納得の上での合意退職であり、今さら撤回は認められない」
驚くべきことに、第一審の地方裁判所は甲さんの主張を認め、「労働契約は終了していない」と判断しました。しかし、控訴審の高等裁判所では、この判決が覆り、病院側の主張が認められたのです。
なぜ、ここまで判断が分かれたのでしょうか?その鍵は、「退職願」という紙の存在ではなく、当事者たちの「言葉」と「行動」にありました。
物語の核心:あなたが「言葉のルビコン川」を渡る瞬間
高等裁判所の判断を、私たちのコア・メタファー「一度渡ると戻れない、言葉のルビコン川」に沿って紐解いていきましょう。
退職の意思表示は、川を渡る行為に似ています。川のこちら岸にいる間は、まだ引き返せます。しかし、一度対岸に渡り切ってしまえば、もう戻ることはできません。
では、甲さんはどの瞬間に「川を渡り切った」と判断されたのでしょうか?判決は、いくつかの重要なポイントを指摘しています。
1. 確定的な言葉で「渡る意思」を示した
甲さんは面談の場で、ただ「辞めようかと思っています」と相談したのではありません。「退職さしていただきます」と、明確な退職の意思を言葉にしました。これは、川の対岸へ向かうことを決意した、決定的な第一歩と見なされました。
2. 「退職日」という“対岸の目標地点”を定めた
これが最も重要な分岐点でした。甲さんと病院は「令和2年1月20日」という具体的な退職日を双方で合意しました。これは、川を渡るための目的地を明確に設定したことに他なりません。単なる意思表示だけでなく、具体的な合意形成があったことが、後戻りできない状況を決定づけました。
3. “渡った後の計画”を話し合った
さらに両者は、退職後の健康保険の任意継続といった、退職を前提とする具体的な事務手続きについて話し合っています。これは、対岸に渡った後の生活について計画を立て始めたのと同じです。ここまで話が進めば、それはもはや単なる気持ちの表明ではなく、法的な効力を持つ「合意解約の申込み」と判断されるのです。
4. 「退職願」は“渡河証明書”の一つに過ぎない
甲さん側が頼みの綱とした「退職願の未提出」。しかし、裁判所はこれを重要視しませんでした。就業規則に「退職願を提出すること」と書かれていても、それは手続きの一例に過ぎません。
口頭であっても、当事者同士が明確に合意すれば、それは書面以上に重い「契約」となり得るのです。詳しくはベリーベスト法律事務所の記事でも解説されていますが、退職願は、あくまで「川を渡った」という事実を証明するための一つの書類に過ぎず、それ自体がなければ合意が無効になるわけではない、と判断されたのです。
このように、甲さんの「言葉」と一連の「行動」が組み合わさった結果、裁判所は「彼はすでに戻れない川を渡り切っており、退職の合意は完全に成立している。その後の撤回は認められない」と結論付けました。
この物語から私たちが学ぶべき教訓
このA病院事件は、私たちに二つの重要な教訓を教えてくれます。それは、労働者側、そして使用者(会社)側、双方にとって心に刻むべきものです。
【労働者のあなたへ】言葉は、あなたが思う以上に重い
- 「辞めます」を軽々しく口にしない: 感情的な勢いで発した一言が、あなたの意図しない法的な結果を招く可能性があります。「退職」という言葉は、交渉のカードではなく、関係を終えるための最終的な意思表示です。
- 即答を避ける勇気を持つ: もし面談などでプレッシャーを感じ、冷静な判断ができないと感じたら、「少し考えさせていただけますか」「一度持ち帰って検討します」と、時間を確保する勇気を持ちましょう。その一言が、あなたのキャリアを守ります。
【使用者(会社)のあなたへ】合意は「記録」に残してこそ
- 重要な合意は必ず書面化する: 今回は病院側が勝ちましたが、裁判が長引いたのも事実です。トラブルを未然に防ぐため、退職日や条件など、合意した内容は必ず「退職合意書」などの書面に残し、双方で署名・捺印しましょう。
- プロセスを明確にする: 面談の日時、場所、同席者、話した内容を議事録として記録しておくことが、万が一の際に会社を守る強力な証拠となります。「言った・言わない」の水掛け論を防ぐ最大の防御策です。
まとめ:あなたの言葉が、あなたの未来を創る
A病院事件は、「退職 口頭 撤回」という問題に対し、「具体的な合意形成があれば、口頭でも契約は成立し、一方的な撤回はできない」という明確な答えを示しました。
「退職願」という紙切れ一枚に安心するのではなく、相手と交わした「言葉」と「行動」そのものに、契約を成立させる重い意味があることを、私たちは決して忘れてはなりません。
あなたが次に「退職」を考えるとき、この「言葉のルビコン川」の物語を思い出してください。川を渡る覚悟は本当にできているのか。渡る日(退職日)は決まっているのか。その決断が、あなたの未来を切り拓く、後悔のない一歩となることを願っています。
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